エストニア遠征    4-13 October 2008
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Nippon Onigiri Peace Corps!

世界に友達を作る文化交流プロジェクト
  日本おにぎり隊 Nippon Onigiri Peace Corps.

テーマはシンプルに“友達をつくろう!”

一歩踏み出す事から見えてくる景色。そこに広がる未知なる土地と人々との出会い。
“知っているモノ”から“自分色のコト”へと世界を変えてゆくのが『おにぎり隊』。

2000年のエリトリア(アフリカ)に始まったプロジェクト、今年もスタートです。


隊長の暇潰し ~1年は31,536,000秒、死ぬまでには?~

実行委員長 那須 勲
6歳の時読んだ学習漫画「からだのひみつ」に触発され『医者になる!』と決意し、次に読んだ『うちゅうのひみつ』に影響され『宇宙飛行士にもなる!』と決意した。

そんな少年がいつしか髭を生やした宝石商となり世界を旅し、今では各国でおにぎりを握り、お茶なんかも点てている。
今という時をどれだけ楽しく生きてゆけるのか。
そんなコトだけ考えている男です。

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2008年07月20日

ズレた駆け引き

家から横浜駅までの道すがら、いつも気になってチラッと覗き込む一軒の店がある。
15年前横浜に引っ越してきたばかりの頃一度だけ入った事があるが、それっきりになっているお店だ。


通りに面した店構えはちょっと洋風という感じのイタリアンを出すレストラン。小さな店内にはガラス越しにいつも暇そうに新聞を手に読みふけるマスターらしきおじさんの姿が見える。時にボーっと壁に掛けられたTVを見上げている。「なんとも危機感のない店だなぁ…」と余計なお世話なコメントをしつつ店の前を通過する。

そんなやる気のない店だけに、もちろんお客さんは少ない。たまに数名入っていると「おっ!」と人ゴトながら反応してしまう。
この店、何が面白いのかというと入り口の前に掲げた“ランチ”の価格。これがしょっちゅう乱高下するのだ。

時に“980円”と掲げていたランチのボードが客が暫く入らないと急に“650円”と下がってみたり、それでも客足が変わらないと更に値下げを断行する。いつも前を通る俺をまるで為替のディーラーの様に「おっ!」とか「あ~ぁ…」とか言わせ一喜一憂させている。これまでで最高(いや最低)価格は“ランチ:350円!”。こんなんでやっていけるのか!大丈夫か!おやじさん!TV眺めている場合じゃないんじゃないのか!と突っ込まざるをえない日々。

かと思うと、やはりこれではやっていけないと思い直すのか、暫くするとまた580円とかに値上がりしていたりもする。人の心理が手に取るように分かる価格の変動だ。


客が来ない原因はハッキリしている。“接客態度の悪さ”と“料理の不味さ”だ。
どんなに価格でお客に駆け引きしても、そんなことではどうにもならない。そんな傍から見たら当たり前に思える事が当事者って意外と見えないもんだ。こういうのを囲碁から来た言葉で“岡目八目”って言うんだよな。

そんなこんなで、いつもの通り道での個人的密かなエンターテイメントなランチ価格。今日通りかかるとそこには、
            = 牛すじカレー ¥330 =  とあった。


ただただ、あとは応援あるのみだ・・・

2008年07月07日

千年越しの恋物語

先日京都の閑臥庵というお寺で「夜噺の茶会」というお茶会に参加してきた。夜から深夜にかけてゆるゆると過すなんともいえない贅沢なお茶会だった。穴太積(あのうづみ)の石垣や青海波模様の白いじゃりで飾られた庭を見ながら緩やかだがどこかスッっとした気持ちの良い緊張感もある空間。
帰り際「どうぞ…」と梶(かじ)の葉を頂いた。お茶席でも表現していた日本古来からある七夕の風習だ。

乞巧奠 』(きっこうてん)という七夕の古来からの祀り方。
角盥(つのだらい)という平安時代に使われていた盥に水を張り、天の川をそこに映す。朱墨で願い事を書いた梶の葉を浮かべるのだという。これが江戸時代に笹の葉に短冊を下げる風習へと変わり、現代まで続いているのだ。

以前、本でこの乞巧奠の風習を読んだ事があり、梶の葉を浮かべているのを見て思わず “日本ってホント素敵な国だな…”と、古の恋物語への日本人らしいお祭りに感心する。
何故、梶の葉なのか。これは彦星が天の川を渡るときその船の舵取りを誤らないように、無事織姫と会えますようにという願いを込めて“かじ”なんだな。

とは言え、今日7月7日の七夕は雨。
自宅で大き目のプレートに水を張り梶の葉を浮かべる。あいにく空に天の川は出ていないけど、遥か昔日本人が願いを込めた彦星と織姫の物語に妻と2歳の娘と一緒に想いを馳せました。


我が娘は訳分からず「たなばた タナバタ たなぼたぁ?葉っぱさん 変だねぇ…」を連呼していた。

年に一度とは言え、平安時代から言うと千回以上会っている彦星と織姫の二人。21世紀の現代、その逢瀬でどんな会話を交わしたのだろうか…

2008年07月02日

母体復帰願望

先日、屏風絵師:アラン・ウェスト氏のアトリエでおにぎり隊文化講座が行われた。

一般にいう「日本画」というのは「西洋画」に対して付けられた名称であり、かつて江戸時代の頃は中国の「漢画」に対しての「大和絵」と呼ばれていたそうだ。
一口に日本画と言っているが知らないことだらけ。なるほど・・・とアランさんの話しに耳を傾ける。

このアランさんのアトリエは谷中の閑静なお寺街とも言える多くのお寺が密集している一角にある。絵を描くのに必要な光を取り込む為、一日中光の変化の少ない北に面した道路沿いに大きなガラス張りの空間。至る所に置いてある屏風や掛け軸。それらの絵に込められたものがアラン氏の説明により『おぉ~、なるほど!』とまた新たに絵を楽しむ視点となってゆく。本当にここは落ち着く素敵な空間。


今回はゲストにアランさんの希望もあって、某茶道のお家元にもお出まし頂いた。
落ち着く空間という事で、“茶室”の話になった時、こんな話をして頂いた。
元々、我々がもっている“侘・寂 (ワビ・サビ)”の世界は千利休の孫の宗旦が利休の世界観を説明するために編み出した言葉だそうだ。別の見方をするとこうだと思う。という話しが面白かった。

ギリシャ神話に出てくるエディプス王。父を殺し母と交わったあの王様の物語。
別の見方とは利休の茶室はエディプスコンプレックスより来る『母体復帰願望』だそうだ。ほ~っ!話を聞いていくとなるほど…と思えてきた。
父なる力には死を持ってしても対立し、母なる柔らかさを求め大切にする。かつて精神学者のフロイトが提唱したこのエディプスコンプレックス。利休の生き様を見ると確かに、太閤秀吉に対して死罪に書せられるかも知れないギリギリの挑発を繰り返している。権力に対する反発だ。現代に目を移してゆくと暴走族とかがそうかも知れない。なるほど警察とはめいいっぱい張り合っているくせに、マスコットガールの様な存在には滅法弱い。狭い車の中を飾り立てそこにいると落ち着くと言うのはナルホド、かの茶室にも通じるかも…。茶室は狭い路地を通ってにじり口という小さな入り口を身をかがめて入ってゆかねばならない。そして入った室内は薄暗く狭い。路地は産道でにじり口は子宮にあたる。こんなところが『あ~、落ち着きますねぇ・・・』なんて言っているのは確かに利休の目指した世界観を共有する者達なのかもしれない。
そんな話も雑談の中にまぎれていた。


そして、一昨日。アランさんからお誘いがあった。
『仲良くしている表具屋さんが新しく茶室を作ったから観に行くんですが一緒に行きませんか?』と。そして『先日のエディプスコンプレックスの話しを再確認したいんです。笑』と続けた。アランさんも結構あの解釈が腑に落ちたようだ。「ぜひぜひ~!」とご一緒させて頂いた。

大塚駅から徒歩数分の所にそれはあった。
さすが表具屋さんだけあって紙で出来た組み立て式の茶室だった。小さな窓が10面、萩で作った格子状のものから和紙で薄く漉いた窓など、狭い空間の中に中々オモシロイ趣向が沢山あった。
出して頂いたお茶を頂きながらアランさんと一緒に顔を見合わせながらこう囁き合った。

            『あ~、落ち着きますねぇ・・・』 と。


どうやら俺たち二人もエディプス王が心の奥底に棲んでいる様だ。

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