テーマはシンプルに“友達をつくろう!”
一歩踏み出す事から見えてくる景色。そこに広がる未知なる土地と人々との出会い。
“知っているモノ”から“自分色のコト”へと世界を変えてゆくのが『おにぎり隊』。
2000年のエリトリア(アフリカ)に始まったプロジェクト、今年もスタートです。
先の世界大戦でオスマントルコ帝国は滅亡しますが、後にトルコ民族を率いて失地回復に立ち上がる英雄が登場します。今のトルコ共和国初代大統領:ケマル・アタチュルクです。なんとケマル・アタチュルクは山田寅次郎がこの士官学校で育てた教え子だったのです。アタチュルクは山田寅次郎からどんな日本の精神文化を伝えられたのでしょう。同じく第二次世界大戦で敗れ占領下に置かれた日本が独立国家として再出発した時、最初に大使館を設立したのはトルコです。アタチュルクは日本への特別な気持ちがあったのでしょうね。今でも新たに日本に赴任してきた大使は天皇陛下から任命状を受け取ると、他の大使が首相官邸及び外務省へ挨拶に行く所、真っ先に赴任の挨拶に行くのは串本町だそうです。
日本とトルコの物語はまだまだ続きます。
トルコで今もなお大切に語り継がれているエルトゥールル号遭難事故のエピソード。トルコの人々の日本人に対する思いが形になって現れたある事件が起こります。
1985年、イラン・イラク戦争が勃発します。当時イラク大統領だったサダム・フセインが宣戦布告、テヘランへ空爆を開始。『48時間後にテヘラン領空を飛ぶ航空機を全て撃墜する。他国からの救援機もこの例外ではない。』その時、テヘラン在住の日本人約1000人の内、テヘランの空港に駆け込むも脱出出来ず取り残された日本人が200名以上立ち往生していました。
外務省は日本航空に緊急の救援機の派遣を依頼しますが「帰路の安全が保障されない。」という理由に断られます。空爆へのタイムリミットはどんどん迫る中、テヘランに駐在する野村大使は日頃親交のあったトルコ大使に窮状を訴えます。この時トルコで語り継がれるあのエルトゥールル号の出来事がトルコの人々へいかに深く刻まれていたが実証されました。そしてトルコ人の勇敢で尚武の気質の高さも感じる出来事になりました。
野村大使からの要請を受けたトルコのビルレル大使はこう答えたそうです。
「分りました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もがエルトゥールル号の遭難の際受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせて頂きましょう。」
要請を受けたトルコ航空。パイロットや客室乗務員も皆、日本への恩返しだという事で救援機に乗り込んでいったそうです。テヘランへは2機の飛行機がイラクのレーダー網を掻い潜り空港へ入ってきました。残された日本人を全員乗せ離陸、テヘランを脱出したのqは空爆1時間15分前でした。トルコ領内に無事入った時機長のアナウンス『 Welcome to Turkey 』。何処からともなく機内では大きな拍手が巻き起こりました。この救出劇はトルコ側にとってまさに命がけのものでした。事実救援機がトルコへ戻った時、機体には銃撃を受け被弾した翼がそこにありました。
それから14年後、1999年の一万五千人もの犠牲者を出したトルコ大地震。その時立ち上がった人々が日本にいました。『命をかけた無償の行為で助けて頂いた事、決して忘れてはいけない』 あの時の救援機の乗客たちでした。彼らは全国に支援の環を作り懸命にトルコの復興支援に尽力したそうです。
そしてつい先頃行われたサッカーの“ワールドカップ2002”。6月18日宮城スタジアム“日本対トルコ戦”。
そこにトルコのユニフォームを着てトルコの応援に向かう日本人の一団がいました。串本の人々です。
彼らはTVの取材陣を前に、『今日私はトルコの応援に来ました。日本国民皆から袋叩きに遭ってでもトルコの応援をしなくてはならないのです。私は串本の人間ですから…。』
にっこりと笑みを残し、トルコのユニフォームの一団は颯爽とトルコ側スタンドに消えてゆきました。
歴史というのは過去だけで完結されるものではなく現在もなお生き続け、語り続けてゆく現在進行形のステージです。おにぎり隊の活動はそんな過去と現在と未来、繋がっている物語に参加してゆく。そんなプロジェクトにしたいと思っています。そう、日本とトルコの物語は今もなお続きを刻んでいるのです。
日本人として知っておくべき、語り継ぐべき物語があるという事。そして豊かな風土に育くまれ、かくも勇敢で仁義厚く誠意に溢れた人々が創り上げてきた国であるという事。古の先人達が積み上げてきた誇り高き日本文化や武士道等の精神文化を持つ国であるという事。またそんな我が国にとって真に友と呼べる国をつくる。そんな夢を一人でも多くの方と分かち合いたいと思います。